Dense Fog Ahead

There never was a good war or a bad peace.
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マガジン9条のアンケートの件
posted at 2006.01.08 Sunday by (た) | - | 03:03 | - | trackbacks(92) |
新春早々、マガジン9条の9条改変に関するアンケートで憂鬱な気分になりました。
まず第一に、この極端な「9条改変賛成」が多いことと、ネット上のあちこちに組織的投票を呼びかける(誘導する)ページ、特に某掲示板での呼びかけ乱立から、今回の結果がかなり「ネットに常駐する特定の思考」にバイアスが掛かったものであるとことが考えられます。
第二に、多くの指摘あるように、このような結果を公表することで、これまで日和見的に憲法について考えていた人々が、一気に改憲へ流れるという危険性があります。
第三に、これまでもそのような勢力がネット上で非常に大きな影響力を持っていることが散々指摘されてきたのに、なぜこのようなアンケートを行ったのかという疑問が生じます。
第四に、一人1回までの投票としておきながら、ブラウザのcookieを消すだけで簡単に重複投票できてしまう甘さにも疑問が残ります。

結論として、9条マガジンサイドがどういう思惑でこのアンケートを行ったのか真意はわかりませんが、このようなネット上での受け身のアンケートは、実際の世情を反映しないばかりか、世論を誤誘導しかねない危険があると思います。もしネット上で非常に大きな影響力を持つ「安易に国家主義、国粋主義に流された若者」層の力を過小評価しているとしたら、それは大きな間違いと言えるのでは。

アンケート回答の修正加筆を提案します。

回答1番
わが国の安全は日米安保条約にもとづく日米軍事同盟によってしか守れないと思う。アメリカに守ってもらっているのだから、アメリカが攻撃されたときは応援に出かけるのは当然だ。第一、武力の伴わない外交では相手になめられてしまう。非武装を主張する護憲派は、外国に侵略されてもいいと言うのか
---したがって、自衛隊を「自衛軍」にして海外派兵(集団的自衛権)も可とする自民党の改正草案に賛成。
これに加えて
志願制の場合、もちろん私は自衛軍に率先して参加し、派兵や戦闘の際には常に最前線で殺し合いをするつもりである。


回答2番
わが国は独立国なのだから、戦後60年を過ぎてなお在日米軍の抑止力をアテにして米軍基地を受け入れている現状は情けない
---したがって、国の安全は自主独立の軍隊で守っていくことを9条に明記すべきだ。
これに加えて
自主独立の軍隊が成立し、徴兵制となった場合は国民の義務として当然兵役に就く


回答5番
冷戦終結のいま、EUや東アジア共同体づくりの動きに見られるように、武力を背景にした外交は絶えざる武力競争(緊張)やテロを生んでキリがないことに世界中が気づき始めている。9条はまさにそんな新しい時代のお手本になる憲法である
---したがって、自衛隊は解散し、一切の外国軍基地も存在しない非武装の国のかたちをつくっていくべきだ。
これに加えて
日本が武力侵攻を受けないように、日々国際社会で名誉ある地位を占めるべく努力をするために、国民である自分も努力する。万が一武力侵攻を受けた場合は、真っ先に降伏の意志を示し無用な戦闘は一切避け、国家間や国際社会の調停にすべてを託す。


回答6番
変えない理由は「5」に同じ
---ただし自衛隊は解散しないで、最小限の自衛力(抵抗権)をもつ陸海空の「国境警備隊」と、武力を伴わない「人道支援隊」に改組縮小する。後者はNPOと連携して、災害、医療、インフラ、貧困対策などで世界平和に貢献していく。
これに加えて
科学技術立国の国民として、我が国が誇る技術分野などで積極的に国際貢献に取り組み、そのための人道支援隊への参加も考える。万が一武力侵攻を受けた場合、国境警備隊に協力する。相手があまりにも非人道的な場合は、日本の美しい国土、文化を守るためレジスタンス活動を行う可能性もあるが、常に国際社会との信頼関係を基軸にした国家、世界の平和繁栄を基本とする。



とにかく、1,2に投票した人は、自分が最前線で銃弾の中で殺し合いをする覚悟があった上で投票して欲しいものです。もちろん、5,6を選ぶ場合にも、殺し合いをする覚悟とは別の大きな覚悟や苦労がありますが、人類の歴史はあきらかに後者の覚悟で苦労を越えてこそ価値があるものになると思います。
retired weapons
posted at 2005.11.10 Thursday by 無腸狷介 | - | 23:09 | - | trackbacks(134) |
タンク
Design TideのArt Projectの一つとして、アートディレクターとプロデューサー二人が立ち上げたNPO。『retired weapons』⇒http://www.retired.jp/
Design Tideのオフィシャル・ブックによると、
retired weaponsは、アートディレクター徳田祐司と、とプロデューサー石川淳哉が、世界の平和を祈ってスタートした非営利アートプロジェクトです。平和への願いを世界中の人々に広げていきます。
となっている。
今年の1月1日にwebがスタートしている。コアの人物が「電通」に所属していると言うのがチョット引っかかるが、やっていることが評価できればそれで良いと言うこともある。
「小泉自民党」を支える「電通」のことなので、どのようなことになるのか分からないが、こういった「ソフト」な働きかけと言うのは、非常に重要なことなのだと思う
「米軍が実際に訓練用として使用しているバルーン製の戦車(全長9m)を、リタイアド・ウェポンズのアートに変化させた形で」、「青山ブックセンター」の前の中庭に置いていた。
「銃口に花」と言えば、エドワード・鈴木氏が設計した宇田川町の交番は、投げ斧=トマホークをイメージして作られたものだったと思うが、その上部の壁に機関銃の銃身が突き出ていて、その先に花(勿論金属製)が飾ってあったはずだが、いつの間にかなくなっている。
この「retired weapons」にはいろいろなグッズがあって楽しい。イベントでは花の種を配っていたが、その袋にはアート化されて花器になったさまざまなweaponが印刷されていた。br>他にも、缶バッジ・コースター・Tシャツなどがあり、来年のカレンダーをwebで受注している(11月13日まで)。
広告批評」の憲法特集などを見ると、デザイナーには9条の支持者が多いように見えるが・・・。グラフィックデザイナーも長い間戦争に反対する「柔らかな」運動としてポスター展を開いている。
ある意味でハードな働きかけと、このようなソフトな運動をバランスよく続けていく必要があるように思う。
自民党草案の前文は美しい日本語なのか
posted at 2005.11.04 Friday by (た) | - | 02:31 | - | trackbacks(7) |
構造改革、郵政民営化、すべては市場原理主義、アメリカ支配への日本組み込みに向けた布石であり、その最大の攻撃対象のひとつが日本国憲法、特に前文と九条であることは明白ですから、日本国憲法は死守すべき絶対防衛線であると思います。もっとも、今回の草案で最も危惧すべきは第96条の変更(2/3から1/2へ)だと思われるわけですが、まずはインパクトの強い、前文から触れます。
日本国憲法を批判してきた石原慎太郎東京都知事は、かねてから
「本当に前文というのは醜悪」
「日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっている」
また鳩山邦夫氏は
「翻訳調であり、悪文でございますので、意味がはっきりいたしませんが、要するに、日本はこれからは、平和については自分では頑張らないで人様にお世話になろうというふうに読みとれる」
さらには、市村真一氏は
「前文は、要するに敗戦後遺症の最も顕著にあらわれておるもの」
「このような前文や憲法のもとでは日本人が誇りと自信を取り戻せない」
などど言いたい放題でした(上記発言は第一五〇回臨時国会及び第一五一回通常国会における衆院憲法調査会の議事録から)。

で、先日発表になった自民党の草案における前文です。
日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。

 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原理は、不変の価値として継承する。

 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。

 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。

 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
これ、みなさんは冷静に考えて「美しい日本語」で、これなら「日本人が誇りと自身を取り戻せる」と思われるのでしょうか。石原知事の感想を是非聞きたい。芥川賞受賞(苦笑)の素晴らしい作家先生でもあるのですから。
ともかく声に出して読んでみてください。「日本国民は~する。」構文の繰り返しで小学生の作文、それも先生の添削前のようです。私には日本国憲法前文の方が遥かに、格調高く人類の希望を理想を提起し、日本人がその先駆けとなるべく努力することを高らかに宣言した、非常に素晴らしい文章に思えるのですが。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
この日本国憲法前文が、まさに世界が焼け野原となった直後の、人々の心からの夢であり希望であったであろうことを思えば、安易に「醜悪な日本語」などと言うのは、非常に想像力や礼節を欠いたことだと思います。
そして、旧仮名遣い、素晴らしいですね。亡くなった祖父がこのような文体を使う、身近にいる唯一の人でした。この世代の人々は、10代から20代を戦争と敗北の混沌に身を置き、その後の平和民主主義日本の下で、国家として誰一人殺すことを認めない憲法とともに、軍事ではなく物づくりで日本を世界に例を見ない復興に導いた人達です。こういう世代の人々の苦労を忘れず、彼らの意志をついでいくためにも、この旧仮名遣いの格調ある前文は絶対に変えてはならないと強く思います。
デザイナーは
posted at 2005.11.03 Thursday by 無腸狷介 | - | 22:03 | - | trackbacks(1) |
先日の総選挙の結果を受けて、憲法改悪の動きがにわかに現実的になってきたが、それとは別に「広告批評http://www.kokokuhihyo.com/ 2005年2+3月号で、デザイナーへのアンケートをとって、「憲法九条」についての特集を組んでいる。

そもそも、「広告批評」と言う雑誌が何なのかと言うことになるが、その名のとおり巷にあふれる「広告」を「批評」すると言うもので、以前は天野祐吉氏が編集長をして正真正銘広告の批評だったが、最近あまり見ることもなかった。
バックナンバーを見るといろいろ面白そうなものがある。2005年の「2+3月号」の「特集 日本国憲法第9条」を銀座の文教堂で購入。

「特集 日本国憲法第9条」は初めに「言葉の問題としての憲法9条」と言うことで、「池澤夏樹×大塚栄志×高橋源一郎」の鼎談があるあたりが、「広告批評」たる所以だろうか。

アンケートはデザイナー・漫画家・アーチスト・画家・作家・社会学者等々「68人アンケート」からなっている。質問は2つで「Q1 日本国憲法の第9条を改定することについて、賛否とその理由をお聞かせください。」、「Q2 改憲問題のほかにも、温暖化問題や教育問題なども大きなテーマになっていますが、それらを含めて、この国のあり方や方向などについて、お考えがあればお聞かせください。」と言うもので、回答がそのまま載っている。

調査の結果を見ると回答者の90%以上が改訂反対、若しくは絶対反対と言うもので心強い限りだが、なぜ68人なのか分からない。
デザイナーとして名前のあがっているのは2名で、その一人深澤直人氏(au INFOBARのデザイナー)は、
1・反対。戦争を正当化するいかなる理由もこの世には存在しないと思います。戦いは俯瞰でとらえるものではなく、個と個の肉体によるぶつかり合いによる死の集合体であります。その集合体が戦争であるととらえるべきです。日常のいざこざで相手を殴ることすら人間には易しい行為ではないのに、争う理由を個としてもたない同士がどのような理由で相手を殺傷できるのでしょうか。・・・」

やはり優秀なデザイナーは「想像+創造」する能力にたけているのでしょうか。このように考える人が一般的であれば、世界中が平和であるのに、と思います。ただ、残念なことに現在はバーチャルな世界で育ってきた多くの若者が、その「個と個のぶつかり合うこと」を生身の身体で知らない。ゲーム感覚で「ボタン」を押して人を殺せると錯覚しているかもしれないと言うところに、大きな落とし穴があるかもしれない。
戦争はけっして「ボタン」だけでは終わらないことは、イラクの市街戦を見れば分かるし、正規軍同士が戦うことが現代の戦争はまれなことだと言うことが分かっていないとまずいなあ、と思うのだが。

もう一人のデザイナーは早川タケジ氏で
「1・「絶対反対!!」改定論には、それなりの理由と複雑な問題があるのだろうが、とにかく私は戦争がいやなので、なにがなんでも反対。反対の理由を理論たててこの場で発言するのは、残念ながら私にはどだい無理な話しで、全く不向き。
しかしこの様な事柄に黙って引っ込んでしまうのは、一番良くないと思い、ただただ単純に「絶対反対!!」と意思表示だけはさせていただいた。」

少々長くなったので、最後に心情的にかなり小生と近いものがある、ヤノベケンジ氏の回答を上げておく。
「1・反対。理由は簡単。私には戦渦に巻き込まれれば、ただ逃げ惑い、怯える事しか出来ない幼い二人の息子がいるから。」

何も難しい理屈はいらない、ただ自分のこととしてとらえれば、おのずと答えは出てこようというものなのだが、何故「第9条」を改定して戦争をしようと考える人がいるのか理解できない。
勿論そうすることで利益を得るほんの一部の人が、利益を得るために戦争が出来るようにしようとするわけだが、何の利益を得るどころか、もしかしたら愛する息子や夫や孫が、死に追いやられるかもしれないと言うようなことを、何故賛成するのか全く理解できない.・・・。
広告批評 徴兵
特集の中のある頁。以下のような解説が付いている。
(お答え)分かりません。いまのところは、憲法改定を主張しているところ、だいたい徴兵制はない、と言っているようです。つまり、志願制ですね。でもね。戦争もするようになった軍隊に自分から志願する若者なんて、いまの日本にいるんですかね。
「戦争マニア」とか「ピストルを撃ってみたい」若者は少しいるかもしれませんが、マニアが少し集まっても戦争は出来ないので、まず徴兵制なんのではないか・・・。
それはらくちんだけど、とてもこわいことだ。どこに運ばれるのかわからないんだから。
posted at 2005.11.02 Wednesday by (た) | - | 01:51 | - | trackbacks(4) |
日本の漫画や映画は、子供向けであっても、どうしてこう、重く考えさせる言葉がさらっと登場してくるのでしょうか。個人の自立、自由と権利、そして平和に穏やかに暮らすことの素晴らしさを父と娘の家庭を通して描く名作、Papa told meより、父が娘、知世に語る、「一人一人の自立したプライド(生き方、人生)と、国家や権力にそれを委ねてしまうことの恐さ」です。
「プライドっていうのは、自分が一番だってえらそうにすることでも、傲慢な態度をとることでもなくて、たとえば、知世が何10億の人達の中で、他ならぬ知世であるために必要なものだと思うんだ」

「IDカードみたいな?」

「そうだな。
でも、もっと重たい。
旅行カバンのようなものかな。全ての人があらかじめ必ず一つずつ持ってる。
型はそれぞれ違っても、重さはみんな同じなんだ。女の子も男の子も、大人も子供も。
持って歩くのはなかなか大変だ。だから、こんなものは邪魔だと思ったら、捨ててしまってもいいわけだ。それがその人の意思ならね。
でも、中にはとんでもないバカなおせっかいがいる。
「君は小さな女の子だから、こんな重いカバンなんか持っちゃいけないんだよ。必要ないんだよ」
なんていう奴だ。
それから、みんなのカバンをまとめて持ってあげようと言う人も出てくる。大きな一つの荷物にしてしまおうってね。
それはらくちんだけど、とてもこわいことだ。どこに運ばれるのかわからないんだから。
やっぱり、自分のカバンは、自分一人で持たなきゃならないんだ。だから、知世のカバンをお父さんが持ってあげることもできない。
お父さんがやれるのは、せいぜい、知世がカバンの重さに負けないように、たくさんごはんを作ることくらいだな。
ムカつくことがあったら、ちょっと考えてみるといいんだよ。どうしてそんな気持ちになるのか。
それは自分のことを知る手だてになる」
今回の自民党憲法草案はまさに「あなたのカバン、みんなまとめて国が運んであげますよ、だから運ぶための飛行機を動かすのを手伝う責務がありますから、よろしく。あと、行き先は教えませんので。」
ということなんですよね。

そして、国家と国民の関係を180度転換しかねない今回の憲法草案に対しては、こんなやりとりが10年以上前に小説になっています。
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あたらしい憲法のはなし(自民党草案版)
posted at 2005.10.30 Sunday by (た) | - | 11:32 | - | trackbacks(4) |
日本国憲法公布の翌年に、中学生向けに配布された「あたらしい憲法のはなし」の中で、6、戦争の放棄の項を、今回の自民党草案用に書けばこんな感じになるでしょう。なお、9条1項の保持、2項のみの変更ということですが、あくまでもこの二項は不可分と考え、あえて「二つのことをきめました」という内容にしています。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、また外国と戦争をできるように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、自分の国を守るとためにもつということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もあるのです。これを自衛力といいます。「自衛」とは、「自分を守る」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。自分を守るということは、相手が攻めてきそうならば、こちらから先に攻めることもできるのです。そうでなければ、現代のいくさでは勝てません。日本はアメリカの子分となることを、ほかの国よりがんばって行ったのです。世の中に、アメリカの子分となることくらい力比べで心強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、いくさによって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおことも仕方ないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけるのは面倒で時間もかかるのですが、いくさをすればとりあえずの決着がつくのが早いのです。それに、いくさをしかけても、けっきょく、国を動かしている優秀で立派な偉い人やお金持ちはなにも困らないのです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、ときにとても有効なことです。これを自衛権というのです。そうしてよその国とけんかをして、世界中の国が、日本を嫌いになってしまっても、アメリカと仲良くできれば日本は、さかえてゆけるのです。

みなさん、戦争はおそろしいものです。けれどもみなさんは日本の国や社会を愛して支える責務があるのです。だからみなさん、戦争にいきましょう。
ちなみに、もとは
そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
改憲は人類史の潮流に逆らう愚行となる
posted at 2005.10.30 Sunday by (た) | - | 11:01 | - | trackbacks(0) |
『映画 日本国憲法』の監督であるジャン・ユンカーマン(JOHN Junkerman)のコメントを引用します。
日本国憲法は、それが公布された時点では先駆的な文書であったし、私たちが今回の取材で再確認したように、今も世界中の人々が求めてやまない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨てることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。
まさにその通りだと思います。なぜこの映画がもっともっと上映されないのでしょうか。
私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。
 平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。
日本は、世界に誇れる人類共通の理想や希望を、今まさに放棄しようとしているわけです。平和ボケと護憲派を攻撃する改憲派こそが、「平和ボケ」によって「夢や希望を持つことを諦め」、そしてもちろん「理想に向けて努力する」ことすらできない人々なのだと思います。
「非武装中立が正しいと今も信じている」
posted at 2005.10.29 Saturday by 無腸狷介 | メモ | 22:13 | - | trackbacks(3) |
「三毛猫ホームズ」など多くの小説を世に送っている、赤川次郎氏の言葉が目にとまった。
かなり長くなるが、「週刊金曜日」のインタビュー記事から引用しておく。
それといまの人は、最初から高い理想などをあまり持たないですよね。理想を持てば、まずそこに向かって努力しようと思うだろうし、努力していけば、必ず壁にぶつかる。
 そしたら今度は、その壁とは「なんだろう」というふうに考えるし。それはとても辛くてしんどいことなんだけれども、そういうことをしないと、この世に生まれてきた意味がないような気がするんです。
 よく若い人に話をするときに、こう言うんです。一人きりで砂漠の中に放り出されたとき、「あの星に向かって歩いていけばいつか目的地に辿り着くんだ」という遠い目標と、同時に、毎日、日々の自分を支えていく「砂漠の水」の両方を持つように、と。その両方がないと正しい道には進めないのですよね。

―――岩波ブックレット『大人なんかこわくない』で「あきらめちゃいけない」と主張していますよね。

そうです。あきらめるのが一番いけない。憲法を変えたい人は「あきらめさせたい」わけですから。ともかくどんどん実績を積み上げて、抵抗しても意味ないよって、憲法を守りたい人たちに思わせたいわけです。だから、そういう意味ではある程度楽観的に「まだまだなんとかなる」と思っていないとね。
たとえば、「通信傍受法」のような盗聴を可能にする法律ができたら、今度は、盗聴する際は本人の許可をとらなきゃいけない、みたいな法律をもう一つ作ってしまえばいいのです。誰もそんな了解をするわけがないから(笑い)盗聴法はないのと同じになる。
それぐらいの考え方でないとね。そして、そういうことをあきらめないで言い続ける。いまだにそんなこと言ってるなんてバカじゃないの、って言われても、言い続けないと。
ぼくなんか化石みたいな人間で、「非武装中立」が正しいと、いまだに信じています・・・
「週刊金曜日 10|28」より
中には、チョットおかしいかな、と思うようなこともあるが、「遠い目標」(理想・夢?)を持たなければならないこと、「あきらめない」こと(理想や夢なんてそう簡単に実現するわけではないのだから、あきらめてなんていられない)それは、明らかに必要なことだし、「非武装中立が正しい」ことも間違いない。
自民党の改憲案では9条の第2項として「自衛軍」を持つことをあげている。どこの国が「侵略軍」を持つことにしました、などと言うだろうか。どのような名称をつけようと、常備された「軍」自体が他国を侵略し、自国の国民を抑圧する可能性を秘めているのではないだろうか。今回の自民党改憲案では、海外派兵は勿論、明確に「自衛軍」の治安出動を認めているようだし。
本当に嫌な世の中になってきた・・・。でも、「戦争のない世界」と言う「遠い目標」を、日本は「あきらめてはいけない」ような気がする。
武装をしない中立の国、それが日本の進む道として正しいと今も信じている。
自民党憲法草案の驚くべき理不尽さについて(暫定)
posted at 2005.10.29 Saturday by (た) | - | 16:49 | - | trackbacks(11) |
自民党の新憲法起草委員会による「新憲法草案」が28日に発表になりました。この1ヶ月は急遽日本に帰国したり、学会の準備などに追われて、殆どBlogを書く時間がなかったのですが、その恐るべき内容に大きな衝撃を覚え、とりあえずのポイントをまとめておくべく、毎日新聞の記事から引用して整理してみました。

・前文で自主憲法制定、象徴天皇制の維持、「国や社会を愛情をもって支え守る責務」を明記
・現行憲法9条の戦争放棄の条文を維持
・「自衛軍」の保持を明記し、集団的自衛権や国際協力で武力行使を容認
・国の説明責任やプライバシー権、環境権などの新しい権利を創設
・政教分離原則を緩和し、国や自治体に社会的儀礼の範囲内の宗教活動を容認
・首相権限を強化し、自衛軍の指揮権、衆院の解散権、行政各部の総合調整権を明記
・改正の要件を衆参各院の3分の2の賛成から過半数に緩和
・国民の新たな義務の盛り込みは見送り

まずいきなりの前文で、「国や社会を愛情をもって支え守る責務」ときました。要するに「国があって国民がある」と言いたいわけで、しかも、その「国」というのが一部権力者とその取り巻きの安泰な繁栄であるということは明白であります。つまり、正しくは
権力者とその仲間達の優雅な繁栄を愛情をもって支える責務
を国民は負うということです。日本語は正しく使って欲しいものです。
9条2項の削除は、あまりにも深く大きい暴挙ですので、後日詳しく検討したいと思います。
また、プライバシー権、環境権などというわけのわからない「囮」あるいは「餌」のような権利を加えて論点をそらすというのも非常に姑息な方法です。
そして、「国や自治体に社会的儀礼の範囲内の宗教活動を容認」という、おそらくは靖国問題と公明党の思惑などが絡んだ都合の良い落としどころとしてのなし崩し的な政教分離の緩和も見過ごせない暴挙です。

ともかく、あまりにも人類の進むべき方向に逆行し、幾多の犠牲の上で築き上げてきた民主主義を根底から否定する、最低最悪の草案と言えるでしょう。

もはや問題は、一体どんな勢力が「有事法制」、「共謀罪」そして「郵政民営化」などを利用して、日本を「市場原理主義」による「格差拡大社会」と「弱者切り捨て」な「監視・密告社会」へと進めようとしているのかを真剣に考えるところまで来ていると思います。これについては、
「三たび断念された「共謀罪」の深層にあるものは何か」で非常に詳しい検討がなされていますが、やはりそこには「ある種の狂信的な思想を持った日本の極右勢力」と「欧米、特にアメリカの権力、経済中枢を支配する、同じくある種の狂信的な集団」の存在が感じられます。

日本はどこへ向かっていくのでしょうか。非常にその行き先は暗澹としているように思えてなりません。
映画から学ぶこともキリがない
posted at 2005.09.29 Thursday by (た) | - | 12:33 | - | trackbacks(1) |
This is how liberty dies. With thunderous applause.
こうやって自由は死んでいくのね。万雷の拍手の中で。
あちこちで取り上げられてますが、先日の小泉首相の所信表明演説と、与党からの盛大な拍手を見て、改めてこの言葉が思い出されました。
アメリカの俳優にははっきりと自身の立場を表明し政治に参加する人がいますが、反ブッシュで有名なナタリー・ポートマン演じるパドメがこの台詞を言うところにもなにか因縁を感じます。
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日本とアメリカから、2人の著者が共同管理している weblogです。
主にこれからの日本に関する個人的なメモを書いています。
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