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posted at 2006.01.08 Sunday
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わが国の安全は日米安保条約にもとづく日米軍事同盟によってしか守れないと思う。アメリカに守ってもらっているのだから、アメリカが攻撃されたときは応援に出かけるのは当然だ。第一、武力の伴わない外交では相手になめられてしまう。非武装を主張する護憲派は、外国に侵略されてもいいと言うのかこれに加えて
---したがって、自衛隊を「自衛軍」にして海外派兵(集団的自衛権)も可とする自民党の改正草案に賛成。
志願制の場合、もちろん私は自衛軍に率先して参加し、派兵や戦闘の際には常に最前線で殺し合いをするつもりである。
わが国は独立国なのだから、戦後60年を過ぎてなお在日米軍の抑止力をアテにして米軍基地を受け入れている現状は情けないこれに加えて
---したがって、国の安全は自主独立の軍隊で守っていくことを9条に明記すべきだ。
自主独立の軍隊が成立し、徴兵制となった場合は国民の義務として当然兵役に就く。
冷戦終結のいま、EUや東アジア共同体づくりの動きに見られるように、武力を背景にした外交は絶えざる武力競争(緊張)やテロを生んでキリがないことに世界中が気づき始めている。9条はまさにそんな新しい時代のお手本になる憲法であるこれに加えて
---したがって、自衛隊は解散し、一切の外国軍基地も存在しない非武装の国のかたちをつくっていくべきだ。
日本が武力侵攻を受けないように、日々国際社会で名誉ある地位を占めるべく努力をするために、国民である自分も努力する。万が一武力侵攻を受けた場合は、真っ先に降伏の意志を示し無用な戦闘は一切避け、国家間や国際社会の調停にすべてを託す。
変えない理由は「5」に同じこれに加えて
---ただし自衛隊は解散しないで、最小限の自衛力(抵抗権)をもつ陸海空の「国境警備隊」と、武力を伴わない「人道支援隊」に改組縮小する。後者はNPOと連携して、災害、医療、インフラ、貧困対策などで世界平和に貢献していく。
科学技術立国の国民として、我が国が誇る技術分野などで積極的に国際貢献に取り組み、そのための人道支援隊への参加も考える。万が一武力侵攻を受けた場合、国境警備隊に協力する。相手があまりにも非人道的な場合は、日本の美しい国土、文化を守るためレジスタンス活動を行う可能性もあるが、常に国際社会との信頼関係を基軸にした国家、世界の平和繁栄を基本とする。

retired weaponsは、アートディレクター徳田祐司と、とプロデューサー石川淳哉が、世界の平和を祈ってスタートした非営利アートプロジェクトです。平和への願いを世界中の人々に広げていきます。となっている。
「本当に前文というのは醜悪」また鳩山邦夫氏は
「日本人の日本語に対する敬意というものの欠如、無神経は既にこの前文で始まっている」
「翻訳調であり、悪文でございますので、意味がはっきりいたしませんが、要するに、日本はこれからは、平和については自分では頑張らないで人様にお世話になろうというふうに読みとれる」さらには、市村真一氏は
「前文は、要するに敗戦後遺症の最も顕著にあらわれておるもの」などど言いたい放題でした(上記発言は第一五〇回臨時国会及び第一五一回通常国会における衆院憲法調査会の議事録から)。
「このような前文や憲法のもとでは日本人が誇りと自信を取り戻せない」
日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。これ、みなさんは冷静に考えて「美しい日本語」で、これなら「日本人が誇りと自身を取り戻せる」と思われるのでしょうか。石原知事の感想を是非聞きたい。芥川賞受賞(苦笑)の素晴らしい作家先生でもあるのですから。
象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原理は、不変の価値として継承する。
日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。この日本国憲法前文が、まさに世界が焼け野原となった直後の、人々の心からの夢であり希望であったであろうことを思えば、安易に「醜悪な日本語」などと言うのは、非常に想像力や礼節を欠いたことだと思います。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
1・反対。戦争を正当化するいかなる理由もこの世には存在しないと思います。戦いは俯瞰でとらえるものではなく、個と個の肉体によるぶつかり合いによる死の集合体であります。その集合体が戦争であるととらえるべきです。日常のいざこざで相手を殴ることすら人間には易しい行為ではないのに、争う理由を個としてもたない同士がどのような理由で相手を殺傷できるのでしょうか。・・・」
「1・「絶対反対!!」改定論には、それなりの理由と複雑な問題があるのだろうが、とにかく私は戦争がいやなので、なにがなんでも反対。反対の理由を理論たててこの場で発言するのは、残念ながら私にはどだい無理な話しで、全く不向き。
しかしこの様な事柄に黙って引っ込んでしまうのは、一番良くないと思い、ただただ単純に「絶対反対!!」と意思表示だけはさせていただいた。」
「1・反対。理由は簡単。私には戦渦に巻き込まれれば、ただ逃げ惑い、怯える事しか出来ない幼い二人の息子がいるから。」

(お答え)分かりません。いまのところは、憲法改定を主張しているところ、だいたい徴兵制はない、と言っているようです。つまり、志願制ですね。でもね。戦争もするようになった軍隊に自分から志願する若者なんて、いまの日本にいるんですかね。「戦争マニア」とか「ピストルを撃ってみたい」若者は少しいるかもしれませんが、マニアが少し集まっても戦争は出来ないので、まず徴兵制なんのではないか・・・。
「プライドっていうのは、自分が一番だってえらそうにすることでも、傲慢な態度をとることでもなくて、たとえば、知世が何10億の人達の中で、他ならぬ知世であるために必要なものだと思うんだ」今回の自民党憲法草案はまさに「あなたのカバン、みんなまとめて国が運んであげますよ、だから運ぶための飛行機を動かすのを手伝う責務がありますから、よろしく。あと、行き先は教えませんので。」
「IDカードみたいな?」
「そうだな。
でも、もっと重たい。
旅行カバンのようなものかな。全ての人があらかじめ必ず一つずつ持ってる。
型はそれぞれ違っても、重さはみんな同じなんだ。女の子も男の子も、大人も子供も。
持って歩くのはなかなか大変だ。だから、こんなものは邪魔だと思ったら、捨ててしまってもいいわけだ。それがその人の意思ならね。
でも、中にはとんでもないバカなおせっかいがいる。
「君は小さな女の子だから、こんな重いカバンなんか持っちゃいけないんだよ。必要ないんだよ」
なんていう奴だ。
それから、みんなのカバンをまとめて持ってあげようと言う人も出てくる。大きな一つの荷物にしてしまおうってね。
それはらくちんだけど、とてもこわいことだ。どこに運ばれるのかわからないんだから。
やっぱり、自分のカバンは、自分一人で持たなきゃならないんだ。だから、知世のカバンをお父さんが持ってあげることもできない。
お父さんがやれるのは、せいぜい、知世がカバンの重さに負けないように、たくさんごはんを作ることくらいだな。
ムカつくことがあったら、ちょっと考えてみるといいんだよ。どうしてそんな気持ちになるのか。
それは自分のことを知る手だてになる」
そこでこんどの憲法では、日本の国が、また外国と戦争をできるように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、自分の国を守るとためにもつということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もあるのです。これを自衛力といいます。「自衛」とは、「自分を守る」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。自分を守るということは、相手が攻めてきそうならば、こちらから先に攻めることもできるのです。そうでなければ、現代のいくさでは勝てません。日本はアメリカの子分となることを、ほかの国よりがんばって行ったのです。世の中に、アメリカの子分となることくらい力比べで心強いものはありません。ちなみに、もとは
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、いくさによって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおことも仕方ないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけるのは面倒で時間もかかるのですが、いくさをすればとりあえずの決着がつくのが早いのです。それに、いくさをしかけても、けっきょく、国を動かしている優秀で立派な偉い人やお金持ちはなにも困らないのです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、ときにとても有効なことです。これを自衛権というのです。そうしてよその国とけんかをして、世界中の国が、日本を嫌いになってしまっても、アメリカと仲良くできれば日本は、さかえてゆけるのです。
みなさん、戦争はおそろしいものです。けれどもみなさんは日本の国や社会を愛して支える責務があるのです。だからみなさん、戦争にいきましょう。
そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。
日本国憲法は、それが公布された時点では先駆的な文書であったし、私たちが今回の取材で再確認したように、今も世界中の人々が求めてやまない理想を示している。日本にとって、この時期にそれを捨てることは、歴史の潮流に逆らう行為だ。まさにその通りだと思います。なぜこの映画がもっともっと上映されないのでしょうか。
私が初めて日本を訪れたのは1969年のことである。その頃、ベトナムのジャングルでは50万人以上のアメリカ兵が戦っていた。私は16歳だった。当時のアメリカには徴兵制があったから、いずれは自分も不当で無節操な戦争に参加しなければならないという不安を感じていた。日本の平和憲法は、アメリカにあふれ返る軍国主義と明確な対照を成す、悟りと知恵の極致のように思えた。そのことが、日本にいるといつもやすらぎを感じられた理由の一つであろうし、私が長い間、日本に住み、日本で子供たちを育てようと決めた大きな理由ともなっている。将来、私の子供たちが、平和憲法をもつ国で子供を育てる道を選択できなくなるかもしれないと考えると、恐ろしくてならない。日本は、世界に誇れる人類共通の理想や希望を、今まさに放棄しようとしているわけです。平和ボケと護憲派を攻撃する改憲派こそが、「平和ボケ」によって「夢や希望を持つことを諦め」、そしてもちろん「理想に向けて努力する」ことすらできない人々なのだと思います。
平和憲法と、それに守られている人権は、空気のようなものである。私たちはそれらを当然のものと感じ、ことさら考えてみることがない。現在の改憲論議は、私たちに憲法の意味をふたたび気づかせてくれる。日本に住み、日本で働き、日本で家族を育んでいるすべての人にとって、それがなぜ、どのようにして書かれたのか、そしてどうすればその精神を守り、広げていけるかを考えるよい契機となる。
それといまの人は、最初から高い理想などをあまり持たないですよね。理想を持てば、まずそこに向かって努力しようと思うだろうし、努力していけば、必ず壁にぶつかる。中には、チョットおかしいかな、と思うようなこともあるが、「遠い目標」(理想・夢?)を持たなければならないこと、「あきらめない」こと(理想や夢なんてそう簡単に実現するわけではないのだから、あきらめてなんていられない)それは、明らかに必要なことだし、「非武装中立が正しい」ことも間違いない。
そしたら今度は、その壁とは「なんだろう」というふうに考えるし。それはとても辛くてしんどいことなんだけれども、そういうことをしないと、この世に生まれてきた意味がないような気がするんです。
よく若い人に話をするときに、こう言うんです。一人きりで砂漠の中に放り出されたとき、「あの星に向かって歩いていけばいつか目的地に辿り着くんだ」という遠い目標と、同時に、毎日、日々の自分を支えていく「砂漠の水」の両方を持つように、と。その両方がないと正しい道には進めないのですよね。
―――岩波ブックレット『大人なんかこわくない』で「あきらめちゃいけない」と主張していますよね。
そうです。あきらめるのが一番いけない。憲法を変えたい人は「あきらめさせたい」わけですから。ともかくどんどん実績を積み上げて、抵抗しても意味ないよって、憲法を守りたい人たちに思わせたいわけです。だから、そういう意味ではある程度楽観的に「まだまだなんとかなる」と思っていないとね。
たとえば、「通信傍受法」のような盗聴を可能にする法律ができたら、今度は、盗聴する際は本人の許可をとらなきゃいけない、みたいな法律をもう一つ作ってしまえばいいのです。誰もそんな了解をするわけがないから(笑い)盗聴法はないのと同じになる。
それぐらいの考え方でないとね。そして、そういうことをあきらめないで言い続ける。いまだにそんなこと言ってるなんてバカじゃないの、って言われても、言い続けないと。
ぼくなんか化石みたいな人間で、「非武装中立」が正しいと、いまだに信じています・・・
「週刊金曜日 10|28」より
権力者とその仲間達の優雅な繁栄を愛情をもって支える責務を国民は負うということです。日本語は正しく使って欲しいものです。
This is how liberty dies. With thunderous applause.あちこちで取り上げられてますが、先日の小泉首相の所信表明演説と、与党からの盛大な拍手を見て、改めてこの言葉が思い出されました。
こうやって自由は死んでいくのね。万雷の拍手の中で。